いきいきいきよう!

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2013年亡くなった有名人 追悼④ 島倉千代子

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島倉千代子さん 2013年11月8日逝去 享年75歳


以下、幼少のころの話
1945年、7歳、太平洋戦争のため長野へ疎開。松本市平田に住まわれて、芳川小学校に通ったということです。
井戸から水を運ぶ途中に転倒、水の入ったビンを割り、左手首から肘までを損傷。
母・ナカが「女の子だから(腕を)残して欲しい」と医師に懇願し、切断は免れたが、感覚も無く、動かすことも出来なくなりました(後に不自由ながらも動かすことができる様になったそうです)。
この時の輸血が後に千代子が患ったC型肝炎の遠因となりました。
気持ちの沈んだ千代子のために母・ナカは「リンゴの唄」を聞かせるようになります。
後に「この世の花」で歌手デビューを遂げた千代子、「この世の花」の作曲は「リンゴの唄」の作曲と同じく万城目正によるものです。

1947年、9歳、終戦。東京に戻る。姉:敏子は歌唱力があったが小児麻痺を患っていたために歌手にはなれない。大好きな姉のために自分が歌手になると決意します。姉:敏子により声楽を学び、近所の「若旦那楽団」に入学。左手に負担の無いアコーディオンを担当。歌唱力があったためボーカルにも起用されていました。品川神社で催されたのど自慢大会には毎回姉妹で参加していたといいます。

1950年、12歳、童謡「お山のお猿」がテイチクレコードから発売されます。

以上、ということで天才少女歌手が誕生したわけですが、松本への疎開が大きな起因となったこと、障害に負けずに夢をもって生きたことが分かります。7歳のときの左手に生死をさまようほどの大けが。外出しなくなり、笑わなくなった島倉さんに、母親が入浴中に歌を教えてくれたこと。歌が心の支えとなり、その後の島倉さんの人生を決定づけたのですね。
離婚・借金・ガン闘などまさに、ヒット曲のように「人生いろいろ」な試練を経験された千代子さん。救ったのはやはり、いつでも歌だったのです。

人生いろいろ 島倉千代子 1994
http://youtu.be/EhN0JftsAWg


最後の最後まで、歌い続けた千代子さんのご冥福をお祈りいたします。

亡くなる3日前にレコーディングされた「からたちの小径」
http://youtu.be/EnxTRrBzkcQ
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