いきいきいきよう!

明るく楽しく美しく、生き生き生きるをモットーに、皆さんと情報交換できたら、嬉しいデ~ス。 愛犬キャロもヨロシク!  前記事はhttp://ikiikiikiyou.naganoblog.jp/  since2009年9月5日

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 | ∧top | under∨

永遠のゼロの宮部久蔵と同じ立場の海兵隊秘話

神風特攻隊感動のドラマ

http://youtu.be/dyJy4wfL9zs

永遠のゼロは小説ですが、主人公と同じような立場の海兵は沢山いたんですね。
45分と長い番組ですが、内容はとても濃いですね。
サイレント・ネイビーたちの遺言を聞けるのは、もう数年かもしれません。

スポンサーサイト
別窓 | グローバル・ピース | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨

愛情不足について 『世界一有名な家庭教師の知られざる過去』 小林大三先生ブログより

天路Tenro 0ゼロ療法ラボ
5ZIGEN技術研究所
超0ゼロ・ポイント ギバー 天路Tenro 小林大三先生のブログが素晴らしいと、
ロシア政治経済ジャーナル No.1019北野幸伯先生のメルマガで紹介がありました。大変感動的な内容なので、私もシェアさせていただきます。

以下転載引用です。

先日、小林大三先生のメルマガを読んで泣きました。

みなさんにシェアしたいと思います。


この下の文章を読まれて、感動された方は、小林大三先生の
メルマガにご登録ください。

【無料】です。↓


自分から覚醒できる 潜在意識革命

無料登録は↓
http://www.mag2.com/m/0001214510.html


テーマ:◆小林の今知らせておきたいこと
メッセージから、「愛情不足について」という件名でいただいたお便りです。
(原文より改行を施しています)

☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆   

私は、教師をしています。
いつも、悩んでいることがあります。

女性の30歳の学生なんですが、とても、優秀で、礼儀正しいんですが、
何故か、いつも、寂しげで、喜怒哀楽が表情に出ないんです。

なかなか、心を開かないです。
素直じゃなくて、反対の事を言う時があります。

たまに、家庭の事を話します。
家族が嫌いだと。

黙っていたら、自分から、話し始めました。

両親が、小さい時から、仲が悪く、お互いに愛人が居る事。
我慢して、仮面夫婦を演じている事。

彼女は、いつも、褒められたことがなく、厳しく育てられました。
どうすればいいでしょうか?

☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆   ☆☆☆ 
  

お便りありがとうございます。

奇跡の連鎖が起こる話です。


『世界一有名な家庭教師の知られざる過去』


━━それは100年以上前の
1876年にさかのぼる。
 
アメリカ・マサチューセッツ州の
とある精神病棟に、緊張型精神
分裂病と診断されたひとりの
少女がいた。
 
その少女はほとんど牢獄のような
病室のベッドの上で、くる日も
くる日もうずくまり続け、
看護師によって毎日運ばれる
食事にもまったく手をつける
ことはなかったという。
 
その日も少女はせっかく運ばれた
食事に手をつけず、それを見た
女性看護師は食事の乗ったトレイを
持ちながらいらだたしげにいった。
 

「食べないならもう
 持ってこないわよ!」


そして看護師は少女の病室を
あとにした。
  
しかし少女はなににも反応を示す
ことはなく、いつまでたっても
ベッドの上で体を丸めてうずくまる
ばかりだった。

病気は治る見込みはないとされ、
なんと家族からも見放されて
いたという……。
 
が、そんな孤独な少女を気にかける
看護師がたったひとりだけいた。

その女性は鉄格子越しに少女の様子を
眺め、『今日も食べてないのね……』
と心配そうにつぶやいた。
 
少女は食事もとろうとせず、
止まることなく衰えていくばかりで
あった。

しかし誰もがさじを投げる中、
その女性看護師だけは少女を
ほうっておくことができなかった。

実は彼女には少女と同じくらいの
年の娘がいたのである。

ある日のこと。
少女の病室に向かう途中、少女を
気にかける看護師は同僚の看護師と
すれちがう。

その際、同僚は
『あれ(病気の少女)はもうダメよ』
という感じで手を振りながら
過ぎ去っていった。
  
少女の病室の前にたどり着いた
看護師は鉄格子越しにベッドの
上の少女を見つめる。

しかし医師ではない自分には
どうすることもできない。

しかし彼女は『せめて自分に
できることを……』ということで
翌日から次のような行動を開始した。
 
少女の病室に入ると、看護師は
クッキーが数枚乗った皿を
そっと少女のそばに置いた。
 
 
「これ、私が焼いたのよ。
 味には自信がないんだけど……。
 よかったら食べてね」

 
彼女は少女に
『あなたはひとりじゃないのよ。
 あなたを気にかけている人が
 いるのよ』
という思いを込めてクッキーを
置いたという。
 
以来、彼女はくる日もくる日も
少女の病室に手作りのクッキーを
置き続け、かたく閉ざされた少女の
心をやさしくノックし続けた。
 
看護師はベッドの上で眠り続ける
少女に語りかける。

 
「お菓子はなにが好き?
 いってくれればなんでも
 つくってあげるからね。
 でも、難しいのは勘弁してね」


 
 ━━それから数カ月が過ぎた
ある日のことだった。

看護師が少女の病室を鉄格子越しに
のぞくと、そこにひとつの大きな
変化が起きていることに気づいた。

なんと皿の上のクッキーが
全部なくなっていたのである!

つまり一切の食事を拒み続けて
いた少女は看護師の置いた
クッキーをついに食べたのだ。
 
それを目撃した看護師はたとえようの
ない深い感激に襲われた。

ただ死を待つばかりだった少女に
小さな奇跡が起きたのだ。
 
看護師は笑顔を浮かべて少女にいう。
 
「ほんとにあなた、よく食べて
 くれたわね。私も嬉しいわ」
 
そして皿を持って病室を出ようと
したときである。看護師の耳に
か細い声が入ってきたのだ。

 
「……ありが……とう……」

 
その声はベッドの上の少女の
声だった。
 
少女の声を耳にした看護師は
もちろんひどく驚き、急いで
少女のそばに戻って憔悴した
少女の体を強く抱きしめた。

 
「大丈夫よ!
 あなたはひとりじゃないのよ!」
 

看護師のその言葉が少女に
はっきり聞こえていたかどうかは
わからないが、少女はその瞬間から
激しく泣きじゃくり出したという。

それはまさしくひとりの看護師が、
誰からも見捨てられた孤独な少女の
心の扉を開いた瞬間だった。
 
そして、この少女がのちに、
世界中の誰もが知るとある奇跡の
物語の主人公になるのである……。

心の病を患い、なににも反応を
示すことなく、ただただ死を待つ
ばかりだったひとりの少女。

その少女の心を開いたのは
ひとりの看護師の小さな愛の
メッセージであった━━。
 
 
それから10年の月日が流れる━━。
  
かつて少女が入院していた病院の
院長室をひとりの紳士がたずねてきた。
彼は院長に向かって深刻な表情で
こういった。
 
「娘のことをなんとかお願い
 できないでしょうか?」
 
重度の身体障害児を子供に持つ
この男性は、娘の世話ができる人物を
必死で探していたのだ。
 
「いくつか病院をまわったんですが、
 すべて断られてしまって……。
 やはり無理ですよね……」
  
表情を暗くしてそうつぶやく男性に、
院長ははきはきとこういった。
  
「お引き受けします」
 
「え!?」顔をあげて驚愕する男性。
 
そして院長はひとりの女性を
院長室に呼び寄せた。
 
院長に入ってきたのはサングラスを
かけた若い女性。

彼女は身体障害児の娘を持つ男性と
笑顔で握手をかわした。
  
実は彼女こそ、かつて死を待つばかり
だったあのときの少女だったのである。

彼女はかつてとは見違える姿で
院長室に登場した。
 
院長はいう。
  

「彼女ならまちがいないでしょう。
 まさに適任です」


そして相談にやってきた男性は
激しく喜びを露にする。

  
「ハァ、よかった!
 これでヘレンも救われる!」

 
このとき、サングラスの女性は二十歳。
そして彼女は自己紹介をする。

 
「よろしくお願いします。
 アニー・サリバンと申します」

 
そう。この女性こそ、わずか1歳にして
光と音のない世界に突き落とされた
ヘレン・ケラーに50年の永きに
わたって献身的に付き添い、
家庭教師の代名詞となるあの
サリバン先生だったのである。
 
サリバン先生といえばサングラス姿が
有名だが、実は彼女は目の病気を患って
おり、目を保護する目的で常に
サングラスをかけていたのだという。
 
……ある日の昼下がりの公園の
ベンチの上。

サリバン先生は腕を振り回して
いうことをきこうとしない
ヘレン・ケラーに戸惑いを隠せない。

しかしサリバン先生は
ヘレン・ケラーに常にこういい
きかせ続けたという。
 

『大丈夫、
 あなたはひとりじゃないの!』

━━それは自身が生まれ変わる
きっかけとなったあの看護師の
メッセージ。

やがてヘレン・ケラーにサリバン先生の
思いは伝わっていく……。
 
「ヘレン……?」サリバン先生は
ベンチで隣に座るヘレン・ケラーに
目をやる。
  
ヘレン・ケラーはバケツの水の中に
そっと手を入れ、小さな声で
ぎこちなくこうつぶやいた。
 
 
「……ウォー……ター……」
 
 
飛び上がるような歓喜に襲われる
サリバン先生。
 
 
「そうよ!『ウォーター』、
 もう1度いってごらん!」
 
 
「……ウ、ウォー……ター……」
 
 
「ヘレン!」サリバン先生は
ヘレン・ケラーの名前を叫びながら
ヘレン・ケラーの小さな体を抱きしめた。
 
限りない慈愛と忍耐を持つサリバン先生。
こうして再び奇跡が起きたのであった━━。
 
ちなみに“奇跡の人”といえば日本では
ヘレン・ケラーのことだと思われがちだが、
国際的には“奇跡の人”とはサリバン先生を
指す言葉だとされている。

--------------------------------


ヘレンケラーにたいして、
諦めず接し続けたサリバン先生も、
「奇跡の人」だったのですね。



この話から気づいていただきたいこと
があります。

それは、
相手に共感する愛の力からの行動が、
奇跡を起こしたということです。


大切なことは、
心理テクニックなどではありません。

相手を思いやる愛が存在しているか
ということです。


そのためには、
悩んでいることが誰にとっての悩みか
ということを理解することです。

心を開いてくれないで困っているのは、
誰かということです。


悩んでいるのは学生さんでしょうか。
違います。
実は先生がその状況に悩んでいるんです。

学生さんの態度や性格、家庭環境が悪い
のでしょうか。
違います。
それらに意味付けしたり、評価している
ことが悪いんです。


今の困った気持ちからは、
相手を変化させることは出来ません。



そこで、
自分がもしそのような家庭に育ったら、
どんな気持ちになるか想像してみます。
同じ気持ちを充分に味わってみます。

すると、
自然と共感する愛情は生まれてきます。


そのとき生まれた気持ちそのもので、
本気で接してあげてみて下さい。



必ず奇跡は起こります。




(返信ここまで)


お便りを下さった方が、この生徒さんのことで悩んでいる根本的な理由は、心の底に両親から愛情を注いでもらえないことに対する罪悪感が存在しているためだと感じています。罪悪感を抱いていると、愛情不足が自分にとって困った問題として映り込むためです。

乳幼児期に親からずっと相手にされないでいたり、放っておかれたりすると、発達障害に結びつく原因となるという話も一部では囁かれたりもしているようですが、愛情不足に対する罪悪感は、成長していく過程の少年期までに、程度の差こそあれ多くの人が持つようになります。

本当の意味で大人にるということは、なんらかのきっかけによって、罪悪感を手放していくことではないか考えています。年明けの記事で、その方法について触れていますが、罪悪感を捨てることは可能です。

多くの場合、そのチャンスは大切な人との出会いや別れといった大きな変化によって起こります。そこで求められるのは、そこから逃げずに、自分を成長させるためにやってきた有り難い事として感謝することです。そこから始まる本当の自分の人生を歩んで行っていただければと思います。

以上転載引用でした。

Helen_Keller_with_Anne_Sullivan.jpg
8歳の頃のヘレン・ケラー(左)とアン・サリヴァン(1888年7月)

AnneSullivan.jpg
アン・サリヴァン(通称アニー)

ウィキペディア解説によると、
ヘレンとサリヴァンの半生は『The Miracle Worker』として舞台化および映画化されており、日本では『奇跡の人』という日本語題で何度も上演されている。英語の「The Miracle Worker」には「(何かに対して働きかけて)奇跡を起こす人」といった意味があり、サリヴァンのことを指すが、日本ではヘレンのことと誤解され、「奇跡の人」がヘレンの代名詞として用いられることも多い。サリヴァンはヘレンの初訪日直前に病没しているため、日本ではサリヴァンを知る人がごく一部しかいなかったのが誤解の原因と言われている。

師弟ともに「奇跡の人」だったんですね。


ヘレンは福祉活動のみならず、広範囲な政治的関心を持って活動した女性であった。当時としては先進的な思想を持ち、男女同権論者として婦人参政権、避妊具の使用を主張した。また、人種差別反対論者であり、過酷な若年労働や死刑制度、そして第一次世界大戦の殺戮にも反対した。
これらの活動のため、ヘレンは FBI の要調査人物に挙げられている。最初の訪日の際には特別高等警察の監視対象になっていた。

1936年10月20日、サリヴァン死去。亡くなる直前、サリヴァンは、サリヴァンが病床にあるという理由で岩橋武夫からの来日要請を躊躇していたヘレンに「日本に行っておあげなさい」と遺言したという。

なお、ヘレン・ケラーは幼少時より「塙保己一(はなわ ほきいち、江戸時代の盲目の国学者)を手本にしろ」と両親より教育されていて、1937年に来日した際、記念館を訪れている。この訪日の時に、ヘレンは横浜港の客船待合室で財布を盗まれてしまう。そのことが新聞で報道されると、日本全国の多くの人々からヘレン宛てに現金が寄せられた。その額はヘレンが日本を離れる時までに盗まれた額の10倍以上に達していた。

保己一のエピソード。和学講談所で『源氏物語』の講義をしているときに、風が吹いて、ろうそくの火が消えたことがあった。保己一はそれとは知らず講義を続けたが、弟子たちがあわてたところ、保己一が「目あきというのは不自由なものじゃ」と冗談を言ったという。
Hanawa_Hokiichi.jpg
ヘレン・ケラーの目標だった日本の塙保己一

日本にもすごい人がいたんですね。

それにしても、アン・サリヴァンにクッキーを焼いて持って行った無名の看護師の心根が素晴らしいです。

目の前の一人に粘り強く励ましの声を! その時の反応がどうあれ、心と心に信頼の橋をかけていることを信じて、、、、自分から胸襟を開いて飛び込んでいくことが、相手の心を開き、人材を伸ばす力となるのですね。
別窓 | グローバル・ピース | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨

2014年 町会新年会

L1140210 (470x314)
地元町会の新年会。
空手の披露、新年の気合いが入りますね。
L1140219 (470x314)
書道、書初め。
今年のテーマは「敬愛」です。
L1140253 (470x353)
五役の方々、紅白の輪でつながって。
おめでとうございます。
別窓 | グローバル・ピース | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨

イタリアの国会で、911は 「内部犯行(ヤラセ)だった」 と発言! (パオロ・ベルニーニ議員の国会弁論)

http://youtu.be/hVFvcfNrjXI


この発言はすごい!
勇気のいることでしたね。

世界の知識人は、もうみんなご存知なのですね。

以下友人のKatsunori Tsuzuki氏より 頂いた内容です。

イタリア国会議員が「911も真珠湾も全部ヤラセ!」

パオロ・ベルニーニ議員の国会弁論 (イタリアの国会で26歳の 1年生議員が、911は「内部犯行(ヤラセ)だったと発言!)

「真珠湾攻撃」 におけるルー ズベルトの幇助疑惑にはじまり、キューバのカストロ政権に対する 「ノースウッズ作戦 (ヤラセ・テロ計画)」、北爆、およびヴェトナム戦争へアメリカが深入りする切っ掛けとなった 「トンキン湾事件 」 が全くのヤラセだった事実 、そして911を切っ掛けにアフガニスタン、イラクへと侵略戦争を仕掛けたが、それが石油(天然ガス)利権の支配の為に仕組まれた「内部犯行」だったことは、もはや全世界の人々の知る所となっている・・・

その様な過去におけるアメリカの、戦争に介入する為の理由付けとして、必ず自作自演テロで被害者を装ってきた行状を列挙した上で、最近のオバマ政権のシリアに対する脅迫も同じく、シリアの石油( 天然ガス)資源を狙ったものであり、化学兵器の使用云々も、どうせ武力介入のために無理矢理こじつけた口実に違いない!
と一刀両断のもとに切り捨てる。

とうとう、ここまで はっきりと明言する人間が現れたんですね。
正直いって、世界はもう耐え切れないんですよ。
あの人たちの横暴さに。
これが切っ掛けとなって、世界中で叛乱が始まる事でしょ う。

パオロ君、よく言った! 貴方は英雄です!

911やその他の内部犯行(i nside job)の件も嬉しいのですが、個人的には何より真珠湾攻撃のことを公の場で言ってくれたのが最高に嬉しいで す!!

今アメリカ政府が世界中で行っていることを考えたら、第二次大戦の日本や、そもそもアメリカ建国時のネイティブ ・アメリカンの大虐殺、その後の虐待的待遇に関する認識がひどくゆがめられたものであった、と考えた方が合理的ですよね。

「『BBC受信料の支払いを拒否した為に訴えられたイギリ ス人男性が無罪に。』

彼は、何故支払いを拒否した のか?

9.11当日に、まだ倒壊してない建っているWTC-7(第7ビル )を背景にBBCの女性キャスタ ーが「WTC-7はすでに崩壊 しました」と報道した事実は 、BBCがテロリストから事前に情報を得ていて事前に知っていたと言う事で、これはBB Cがテロリストとの共犯であるのを証明してる事。

裁判官はこの理由を道理的とし、男性は無罪。罰金の支払いは無用となった。」

しかし、イタリア、MMRワクチンと自閉症の関連性や、携帯電話と脳腫瘍の関連性を認めていたり、ほとんどの地域 でGMO撲滅運動していたり、 おもしろい動きが満載です。


以上Katsunori Tsuzuki氏より引用で紹介させていただきました。
この発言の効果は大変大きいと思います。
言うべき真実は、はっきり言うことですね。

過去記事:9.11関連


別窓 | グローバル・ピース | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨

松本は、最後の重要な軍需飛行場であった!

L1090920 (434x470)
戦時中、松本市内にあった陸軍松本飛行場の施設構成が、市空港図書館(松本市今井)の調査で明らかになりました。未舗装の滑走路の脇に六つの格納庫や軍需工場、兵舎などが立ち並び、柵で囲われていました。これまで格納庫の位置などしか分かっていませんでしたが、運用状況も含め解明が進みました。配置を再現した絵図を、同館で8月25日まで企画展

「旧陸軍空541部隊と松本飛行場」

で公開しています。
同飛行場は1943(昭和18)年以降、同市笹賀、神林、今井にまたがる200ヘクタール余に建設され、約1300メートル四方のほぼ正方形をしていました。45年には特攻隊が駐留し、沖縄戦に向けて九州へ飛び立ったことが分かっています。
市空港図書館の川村修館長が昨春から、当時を知る人に聞き取り調査をし、格納庫や滑走路の位置などが分かり、一般公開されている48年撮影の航空写真を基に、父親が飛行場に勤務していて一緒に敷地内を巡回したという元高校美術教員古町茂さんが、45年4月時点の絵図を作製し分かりやすく再現しています。
飛行場建設現場の陸軍航空本部経理部松本工事本部に勤めていた藤牧吉重さんら大勢の人が川村さんの調査聴き取りに応じたそうです。
また、離着陸の邪魔になるため移転させられた家に住んでいた男性の証言も得たそうです。
半地下式の兵舎や軍需工場、操縦模擬練習講堂、食堂などの位置が判明し、防火用池、排水路の他、現在のアルウィン近くに労働者のバラックが何棟もあったそうです。
飛行場には零式艦上戦闘機(ゼロ戦)や重爆撃機「飛龍」、「赤とんぼ」と呼ばれた練習機などが100機以上あったそうです。篠ノ井線村井駅から牛車で翼や発動機を運んだようです。終戦の際、全ての飛行機が焼き払われてしまいました。どこかに丸ごと埋められている可能性もあります。
川村館長は「陸軍松本飛行場に関わった方は高齢で、聞き取りも限界が近い。建物の位置が分かりやすい絵図は現実味が湧く。企画展を通じ、より多くの手掛かりが得られればいい」と期待しています。
(参考:信濃毎日新聞記事)

当時のパイロットが使ったパラシュートなども展示されていて、生々しい戦争体験がよみがえります。空港図書館だけあって、航空機に関する書籍が充実しています。特攻隊に関する情報も多く興味を引きますね。
松本空港周辺には、かつて軍需飛行場であった名残りが残っています。戦争末期、松代に大本営が造成され、航空機を制作していた名古屋の三菱重工が全部松本に疎開してきて、最後の砦として期待されていたのでしょう。
別窓 | グローバル・ピース | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
| いきいきいきよう! |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。